大正14年(1925):濱田恵美酒神社本遷宮祝

現存最古の写真。
浅い屋根の上には、24年前(明治34年)に飾磨/浜の宮/宮
町から購入した際の「梅鉢紋」がまだ乗っている。この濱田
の恵美酒神社には天神さんも合祀してあり、村の屋台として
は紋が梅鉢であってもなんら抵抗はなかったのであろう。

元々「えべっさん」は漁師の神様であり、当時の濱田村として
は村人みな縁の深いお宮である。現在でも、「えべっさん」の
餅撒きの際、櫓を組むのは漁師の役割となっている。

写真の「隅絞り」と「環(カン)」(大正9年、大阪市東区「ぬた
や呉服店」にて新調)以外は飾磨時代そのままの形をとどめ
ているものと思われる。ただ、腰組から下は「台場差し」のツ
ノ付き泥台から、「チョーサ」屋台の浅い泥台に変わっている
筈で、現屋台の龍の「外棒(脇棒)持」は、その時に作られた
ものではないか?
「屋台金銀払帳」には、「屋台大工 岸上入用 4円77銭」と
の記載があり、大阪の岸上一門の手によるものか?

奥に写っている松の大木は「龍門寺前」・「中川河口浜先」の
松と並んで、「網干三本松」と呼ばれた「えべっさんの松」で、
この3本は枝に登ると姫路城を見ることができたそうな。

写真左脇には、歌舞伎市川総家の「三升(みます)紋」の幟
があがり、右には、餅撒きの櫓も写っている。「本遷宮」という
村の祝い事に屋台を練り出したものであろう。


龍門寺
屋台金銀払帳