昭和56年(昭和56年)網干警察署前
浜田南屋台

昭和50年代までは、頻繁に網干警察署前くらいま
で遠征していた。厳密に言えば、他所のお宮の地内
(魚吹八幡神社)であるが、旧網干村からの流れ、
また、網干西小学校ができるまでは、単一小学校校
区であったこともあり、特に抵抗もなく揖保川を渡って
いた。

これには、道中通過する興浜・新在家が壇尻村であ
り屋台の運行がなかったことにもよる。壇尻もあり、
屋台もあり・・という楽しみも両村にはあったであろう。

とはいえ、祭りの「花」も壇尻・屋台の2口分となると、
そのうちに村内から苦情もつのり、氏神さんのスジか
らいっても立ち入ることがなくなった。

同じく、浜田西屋台