昭和15年(1940):蔵前

見えている紋は側面の「変形立ち葵」。明治34
年(1901)の購入以来、25年を経て大正15年(
1926)に「梅鉢紋」から差し替えている。
この紋が次に新調されるのは昭和29年(1954)
の棟新調の際であるから、使用年数は28年。

実は、高津(浜田南)のモノ持ちの良さは、それ
にとどまらない。
蔵は、元治2年(1865)の建設であるから、今年
(2001)でなんと築136年。
昭和4年(1929)の扉・くぐり戸新調ののち、昭和
29年(1954)の棟新調にあたり、蔵自体はその
まま、腰板高さ分だけ嵩上げしている。
     昭和18年(1943):蔵中

村の若い衆も多くは戦争に取られ、練り出しする
だけでも大変であったらしい。写真の「連中(村内
の同級生の集まり)」も元々は10数名だったが、
写っている6名しか残っていなかったとのこと。
中には、祭りの翌日に召集令状が届き、出征し
ていった人もおられたと聞く。

「龍紋」の高さが目を引く。ひょっとすると紋の径
よりも高さの方が大きいのではないか。

昇り総才・総才端・水引の錺金具が美しい。

シルエットで見える「狭間(さま)」は、飾磨時代の
ままであり、場面はおそらく「義経鞍馬山」。
作者は伝わっていないが、昭和29年に新調した
際、三代目松本義廣が是非譲ってほしいと言った
・・と伝えられる。初代か二代目の作であったか?

そもそもこの屋台、飾磨/浜の宮/宮町での製造年
がはっきりしない。聞くところによると、「飾磨の天
神さん」(町名問わず)では、明治中期から大正に
かけての30年間で7台の屋台を作ったとのこと。
いずれにせよ、この屋台の次の代の宮町屋台(昭
和2年まで運行)では、屋根が深くなっており、この
姿は明治初期を伝える最後の世代の屋台であると
言えよう。



蔵建築時、改装時の墨書他
錺金具詳細